Eri Wilde's The Wind
~ The David Bowie Filmography~
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Film Cover Coming Soon |
Mayor
of the Sunset Strip
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斜陽街道の長 〜 ロドニー・ビンゲンハイマー 〜
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2002年公開予定
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アメリカ映画
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監督 ジョージ・ヒッケンルーパー
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主要製作関係者: |
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| デヴィッドの登場: インタビュー応答、アコースティック・ギター演奏シーン | ||||
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その他主要キャスト: |
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ドキュメンタリーの内容: 現在、ハリウッドの薄暗い街道、「サンセット・ストリップ」(斜陽街道)に佇む空手道場。 ビンゲンハイマーが付けたパンク・ロックの異称
ここは、アリス・クーパーが蛇を持って登場し、ショーン・キャシディがイギー・ポップの前座でデビューし、デヴィッド・ボウイが、エルヴィス・プレスリーのサウンドに合わせ、無人のダンス・フロアーに踊り出た場所。エルヴィス自身も、RCAのプロモ担当に連れられ、ここに度々訪れた。世界で一番底の高いプラットフォームを履いて、チャッキー・スターが写真撮影し、それを世界中に流行らせた。レッド・ツエッペリンは空港からまっすぐにここへ車を走らせた。淫乱な逃避主義、ギンギラの風貌、そして前代未聞のグラム・ロック。その舞台が、ロドニー・ビンゲンハイマーの「イングリッシュ・ディスコ」だった。この男は、サル・ミネオに、「メイヤー・オブ・サンセット・ストリップ(斜陽街道の長)」と名づけられた。 ビンゲンハイマーはこう語る。 「北部カリフォルニアからロスに来た時には、僕はキャピトルとマーキュリー・レコーズで仕事を貰った。それでデヴィッド・ボウイを地元のラジオ局に連れ回したものだった。」 その前の時代、60年代には彼はサニーやシェールの使い走りや、「モンキーズ」のデイヴィー・ジョーンズの代役を務めたりしていた。 「それはジギーの前の時代だった。ボウイが長い髪をしていて、ドレスを着ていた。」 デヴィッドは、「世界を売った男」のリリースプロモの為に、1971年初めに渡米していた。彼らは女の子との出会いを求めて、ハリウッド・ハイを彷徨った。ロドニーはこう回想する。 「女の子達はデヴィッドを好きにはならなかった。多分それは、彼が長い髪をしていて、ドレスを着ていたからさ。」 '71年後期に、ビンゲンハイマーはデヴィッドと一緒にロンドンに渡り、この両性具有的な歌手を眺めた。2人は、英国の最もワイルドなナイトライフの繁華街に頻繁に訪れ、グラムと呼ばれる閃光のロックの新スタイルを編み出した。 「僕達はセラーという名の地下鉄の駅のクールなクラブに通ったものだった。デヴィッドが僕に、『君はロスでこれをやるべきだよ』と言ったんだ。ターンテーブル2台もが、一箇所のクラブで音楽をならしているのを、実際初めて観た場所でもあった。」 ビンゲンハイマーは、ロンドンに一年滞在し、その間ボウイのマネジャーに彼女を取られ、「ハンキー・ドリー」のレコーディングの間付き添い、ロッド・スチュワートやロン・ウッドと親交を深めた。それで彼は唯一度きり、「フェイセズ・オン・トップ・オブ・ザ・ポップス」でベースの「上げ底」役を演じる事となった。 彼はロスに戻ると、英国のナイトライフ・バージョンを開始した。当初そこは、「Eクラブ」と呼ばれた。開店後間もなく大盛況の為場所を移動しなければならなくなり、終には、ロドニー・ビンゲンハイマーの「イングリッシュ・ディスコ」となった。 「E」は英国を意味したが、誰も分からなかった。
現在はこの場所には「バー・マーモント」がある。 「僕らは、スゥィートや、Tレックス、スジ・クアトロ等を流した。新鮮で、奇妙で、異質だった。」 この「イングリッシュ・ディスコ」は、'72年から'74年の間最高峰に君臨し、ビアンカ・ジャガーやアンディ・ウォーホル、ザ・ニューヨーク・ドールズ、そして「ロドネッツ」と呼ばれるロドニーのグルーピーのホット・パンツを装う若者集団のような人々を魅了し、同じ一週間の間に、ローリング・ストーンズ誌や、ピープル誌、インタビュー誌やタイムズ誌等の注意を一気に惹いた。 '74年、ドナ・サマー・スタイルのディスコ・ミュージックの高まる人気が、薄れつつあるギター主導のグラム・シーンに取って代わろうとする脅威が押し寄せ、「イングリッシュ・ディスコ」は終わった。ビンゲンハイマーはダンス・フロアに別れを告げ、'76に年電波の世界に登場した。彼は、地元のFMラジオ局であるKROQ 106.7で、DJとしての仕事を得た。ビンゲンハイマーは当時をこう語る。 「僕が'70年代を通してオンエアーを繰り返し、永久にその権利を確固たるものにすると、オーナーが僕に独自の番組を持つよう薦めてくれたんだ。」 彼は、「ダーティ・グリター」という名の新サウンドを、市民に露呈したものだった。 「僕の最初のゲストはラモンズだった。そして同じショウでランナウエイと電話インタビューした。」 ランナウェイズは当時、長年に渡る長身の付き人、キム・フォーリ−をマネージャーとして使っていた。 ビンゲンハイマーは、このラジオ番組で、セックス・ピストルズからゴー・ゴーズまで、誰も彼もをブレイクさせるのに一役買った。 「ある時には、僕の評価は高すぎて、土曜の8時や日曜やらを割り当ててくれたよ。でも今は最高の視聴率を取れる番組は『ラブ・ライン』程度さ。」 とビンゲンハイマーは回想する。ロックンロールの歴史は続く。20年も経つ今も、黄金の耳を持ったこの小柄な男は、まだROQショウの著名なロドニーを演じている。尤も、より遅い時間帯ではあるが。彼は、日曜の午後7時から9時までから始め、現在では日曜の深夜を3時間担当している。 彼は今日では、ハスキー・ボイスのラジオ・パーソナリティとして、最も良く知られている。しかし、彼はその弛まぬ頻繁さで気まぐれな姿を曝け出す、街の不朽の謎でもある。彼が、ロサンゼルスの最前線にグラム(とパンク)シーンを、いとも簡単にもたらした事は事実だ.しかし、彼は他の人格によっても良く知られている。彼は執り憑かれたような凝り性な食習慣を持っている。彼はある特定のレストランに毎夜同じ時間に、何十年も通いつづけている。彼は女性を高く評価している。尤もその大半が若い女性ではあるが。彼は過去30年間に渡り、殆どの主要な音楽界の名士達と親しくなって来たにも拘わらず、かなり穏健な性格で、シャイでさえある。しかし彼は、彼のスターダストまみれの思い出を、分かち合うのが大好きだ。 このドキュメンタリーには、独占的にデヴィッドの秘蔵写真が映される他、彼がロム・アイルズのハリウッド・ヒルズのリビングで足を組んで座りながら演奏している「アフター・オール」と、「オール・ザ・マッドマン」のアコースティック・バージョンが収録されていると、同映画のプロデューサーのクリス・カーター氏が言っている。又その他に、1997年12月6日に開かれたKROQでのクリスマス・パーティの後、同映画の監督/脚本担当のジョージ・ヒッケンルーパーが、デヴィッド・ボウイに直々にインタビューをし、70年代の記憶を振り返る。さらにはデヴィッドがこのパーティに登場した時の、悪名高いモヒカン頭も含めている(!?)又、サントラ・アルバムも発表される予定で、少なくとも一曲は、デヴィッドのアコースティック・ギター・バージョンを収録しようと、カーター氏は躍起になっているそうだ。 同ドキュメンタリーは、当初2000年のサンダンス・フェスティバルでプレミア後、小規模に公開される予定だったが、正式発表が遅れている。トリ・アモスのサイトで、関係者のロナルド・ボーガンが2002年始め頃の予定と言っていたので、それまでの辛抱となるだろう。 |
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購入可否: 未発表 |
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参照リンク: I Love
The Night Life (ロドニー・ビンゲンハイマーの写真) |
Eri Wilde's The Wind