Eri Wilde's The Wind

~ The David Bowie Filmography~

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Mayor of the Sunset Strip
斜陽街道の長 〜 ロドニー・ビンゲンハイマー 〜
2002年公開予定
アメリカ映画 
監督 ジョージ・ヒッケンルーパー 

主要製作関係者:
ジョージ・ヒッケンルーパー (脚本)、クリス・カーター (製作)

デヴィッドの登場: インタビュー応答、アコースティック・ギター演奏シーン

その他主要キャスト:
ロドニー・ビンゲンハイマー、トリ・アモス、シェール、 ブライアン・ウィルソン、ベック、
ブロンディー、ザ・ラモーンズ、エルヴィス・コステロ、シャーリー・マンソン、アリス・クーパー、
フリー、キム・フォーリー、リアム・ギャラガー、デビー・ハリー、ジョン・ジェット、
デイビー・ジョーンズ、コートニー・ラブ、キアヌ・リーブズ、ポール・ルーベンス、
ロナルド・ヴォーガン、その他

 

ドキュメンタリーの内容:

現在、ハリウッドの薄暗い街道、「サンセット・ストリップ」(斜陽街道)に佇む空手道場。
ここはかつては、70年代初期に全盛を極めたダーティ・グリター震源地、「イングリッシュ・ディスコ」。

ここは、アリス・クーパーが蛇を持って登場し、ショーン・キャシディがイギー・ポップの前座でデビューし、デヴィッド・ボウイが、エルヴィス・プレスリーのサウンドに合わせ、無人のダンス・フロアーに踊り出た場所。エルヴィス自身も、RCAのプロモ担当に連れられ、ここに度々訪れた。世界で一番底の高いプラットフォームを履いて、チャッキー・スターが写真撮影し、それを世界中に流行らせた。レッド・ツエッペリンは空港からまっすぐにここへ車を走らせた。淫乱な逃避主義、ギンギラの風貌、そして前代未聞のグラム・ロック。その舞台が、ロドニー・ビンゲンハイマーの「イングリッシュ・ディスコ」だった。この男は、サル・ミネオに、「メイヤー・オブ・サンセット・ストリップ(斜陽街道の長)」と名づけられた。

ビンゲンハイマーはこう語る。

「北部カリフォルニアからロスに来た時には、僕はキャピトルとマーキュリー・レコーズで仕事を貰った。それでデヴィッド・ボウイを地元のラジオ局に連れ回したものだった。」

その前の時代、60年代には彼はサニーやシェールの使い走りや、「モンキーズ」のデイヴィー・ジョーンズの代役を務めたりしていた。

「それはジギーの前の時代だった。ボウイが長い髪をしていて、ドレスを着ていた。」

デヴィッドは、「世界を売った男」のリリースプロモの為に、1971年初めに渡米していた。彼らは女の子との出会いを求めて、ハリウッド・ハイを彷徨った。ロドニーはこう回想する。

「女の子達はデヴィッドを好きにはならなかった。多分それは、彼が長い髪をしていて、ドレスを着ていたからさ。」

'71年後期に、ビンゲンハイマーはデヴィッドと一緒にロンドンに渡り、この両性具有的な歌手を眺めた。2人は、英国の最もワイルドなナイトライフの繁華街に頻繁に訪れ、グラムと呼ばれる閃光のロックの新スタイルを編み出した。

「僕達はセラーという名の地下鉄の駅のクールなクラブに通ったものだった。デヴィッドが僕に、『君はロスでこれをやるべきだよ』と言ったんだ。ターンテーブル2台もが、一箇所のクラブで音楽をならしているのを、実際初めて観た場所でもあった。」

ビンゲンハイマーは、ロンドンに一年滞在し、その間ボウイのマネジャーに彼女を取られ、「ハンキー・ドリー」のレコーディングの間付き添い、ロッド・スチュワートやロン・ウッドと親交を深めた。それで彼は唯一度きり、「フェイセズ・オン・トップ・オブ・ザ・ポップス」でベースの「上げ底」役を演じる事となった。

彼はロスに戻ると、英国のナイトライフ・バージョンを開始した。当初そこは、Eクラブと呼ばれた。開店後間もなく大盛況の為場所を移動しなければならなくなり、終には、ロドニー・ビンゲンハイマーの「イングリッシュ・ディスコ」となった。

「僕らは、スゥィートや、Tレックス、スジ・クアトロ等を流した。新鮮で、奇妙で、異質だった。」

この「イングリッシュ・ディスコ」は、'72年から'74年の間最高峰に君臨し、ビアンカ・ジャガーやアンディ・ウォーホル、ザ・ニューヨーク・ドールズ、そして「ロドネッツ」と呼ばれるロドニーのグルーピーのホット・パンツを装う若者集団のような人々を魅了し、同じ一週間の間に、ローリング・ストーンズ誌や、ピープル誌、インタビュー誌やタイムズ誌等の注意を一気に惹いた。

'74年、ドナ・サマー・スタイルのディスコ・ミュージックの高まる人気が、薄れつつあるギター主導のグラム・シーンに取って代わろうとする脅威が押し寄せ、「イングリッシュ・ディスコ」は終わった。ビンゲンハイマーはダンス・フロアに別れを告げ、'76に年電波の世界に登場した。彼は、地元のFMラジオ局であるKROQ 106.7で、DJとしての仕事を得た。ビンゲンハイマーは当時をこう語る。

「僕が'70年代を通してオンエアーを繰り返し、永久にその権利を確固たるものにすると、オーナーが僕に独自の番組を持つよう薦めてくれたんだ。」

彼は、「ダーティ・グリター」という名の新サウンドを、市民に露呈したものだった。

「僕の最初のゲストはラモンズだった。そして同じショウでランナウエイと電話インタビューした。」

ランナウェイズは当時、長年に渡る長身の付き人、キム・フォーリ−をマネージャーとして使っていた。

ビンゲンハイマーは、このラジオ番組で、セックス・ピストルズからゴー・ゴーズまで、誰も彼もをブレイクさせるのに一役買った。

「ある時には、僕の評価は高すぎて、土曜の8時や日曜やらを割り当ててくれたよ。でも今は最高の視聴率を取れる番組は『ラブ・ライン』程度さ。」

とビンゲンハイマーは回想する。ロックンロールの歴史は続く。20年も経つ今も、黄金の耳を持ったこの小柄な男は、まだROQショウの著名なロドニーを演じている。尤も、より遅い時間帯ではあるが。彼は、日曜の午後7時から9時までから始め、現在では日曜の深夜を3時間担当している。

彼は今日では、ハスキー・ボイスのラジオ・パーソナリティとして、最も良く知られている。しかし、彼はその弛まぬ頻繁さで気まぐれな姿を曝け出す、街の不朽の謎でもある。彼が、ロサンゼルスの最前線にグラム(とパンク)シーンを、いとも簡単にもたらした事は事実だ.しかし、彼は他の人格によっても良く知られている。彼は執り憑かれたような凝り性な食習慣を持っている。彼はある特定のレストランに毎夜同じ時間に、何十年も通いつづけている。彼は女性を高く評価している。尤もその大半が若い女性ではあるが。彼は過去30年間に渡り、殆どの主要な音楽界の名士達と親しくなって来たにも拘わらず、かなり穏健な性格で、シャイでさえある。しかし彼は、彼のスターダストまみれの思い出を、分かち合うのが大好きだ。

このドキュメンタリーには、独占的にデヴィッドの秘蔵写真が映される他、彼がロム・アイルズのハリウッド・ヒルズのリビングで足を組んで座りながら演奏している「アフター・オール」と、「オール・ザ・マッドマン」のアコースティック・バージョンが収録されていると、同映画のプロデューサーのクリス・カーター氏が言っている。又その他に、1997年12月6日に開かれたKROQでのクリスマス・パーティの後、同映画の監督/脚本担当のジョージ・ヒッケンルーパーが、デヴィッド・ボウイに直々にインタビューをし、70年代の記憶を振り返る。さらにはデヴィッドがこのパーティに登場した時の、悪名高いモヒカン頭も含めている(!?)又、サントラ・アルバムも発表される予定で、少なくとも一曲は、デヴィッドのアコースティック・ギター・バージョンを収録しようと、カーター氏は躍起になっているそうだ。

同ドキュメンタリーは、当初2000年のサンダンス・フェスティバルでプレミア後、小規模に公開される予定だったが、正式発表が遅れている。トリ・アモスのサイトで、関係者のロナルド・ボーガンが2002年始め頃の予定と言っていたので、それまでの辛抱となるだろう。

 

購入可否: 未発表

 

参照リンク:

I Love The Night Life (ロドニー・ビンゲンハイマーの写真)
Glue Magagine Online (ロドニー・ビンゲンハイマーの写真2)
The L.A. Musical History Tour (イングリッシュ・ディスコの写真)
Teenage Wildlife (主にデヴィッド・ボウイの出演に関する情報)
LA Weekly (同ドキュメンタリーに関する詳しい記事)
A Dent in the Tori Amos (出演者トリ・アモスのファンサイト)
New Times LA (論評)
World Class Rock (論評)
Van Halen 公式サイト (論評)
Whicky A Go Go (主に'60年代のサンセット・ストリップを描いた記事)

 

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